終末期での「もっと長生きしたい」という思いと「人は死ぬ」という現実を埋めるスピリチュアルケア

ある健康食品を開発した、超有名大学の男性客員教授(当時)を取材したときのこと。

彼は高齢者専門病院の協力を得て、自分の商品を高齢者に摂取してもらい、その様子を動画で撮影していました。

 

動画では、寝たきりになって手足が拘縮し、自分で食事が取れず、お尻などに褥瘡ができている高齢者たちのベッドのそばで、彼は「元気を出してください」と声をかけていました。

健康食品を摂取し始めて2カ月後、高齢者たちの関節が少し動かせるようになった様子(ただし自分では動けず、看護師にされるがままの状態)を眺めながら、彼は満足げに効果を解説……

 

このような内容でした。

 

彼は健康食品の効果を動画で伝えようとしたわけです。しかし、彼の思惑とは別に「長生きすることにどんな意味があるのだろうか……」と考えさせられる内容にもなっていました。

 

『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』(中村仁一、幻冬舎新書)や『日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか 』(久坂部 羊、幻冬舎新書) といった終末期に関する本には、老後に医療に頼るリスク、つまり「不本意な長生き」について詳しく説明されています。『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』は大ベストセラーとなりました。

 

自力で動けなくなったら、今生は終わりとしたい。また、たとえ終末期ではなくても高齢期において、自力で動けなくなるリスクが高いのなら、心肺蘇生は受けたくないから救急車は呼ばないでほしい……

こうした考え方が、40~50代に広まりつつあるようです。

 

 

しかし、もうすぐ死を迎える高齢者には、「たとえ終末期であっても、まだ生き続けたい」と願う人は少なくないようですね。彼らにとって「死は敗北」。決して受け入れられるものではない様子でした。

 

 

最近、ホスピスに足を運ぶ機会があったのですが、看護師は死を迎える人に自ら働きかけようとはせず、静かに寄り添っているという印象でした。ただただ見守り、患者が困っていることにそっと手を差し伸べています。

お見舞いに来る人の中には「もっと治療をしてほしい」と要望を述べる親族もいますが、ホスピスとはそのような場所ではなく、患者も望んでいないと説明しているようです。また、「ガサガサと音を立てるビニール袋を持ち込まないでください」などと、看護師がお願いするケースもあるとのこと。「死とは何か」「ホスピスとはどのような場所であるべきか」という哲学をスタッフが持っていることを感じられました。

私が訪れたホスピスキリスト教系でした。やはり、「死」に対しては「霊性」「高次の精神性」「伝統宗教」といったスピリチュアルな知識を持つ必要があると考えた次第です。

池上彰の宗教がわかれば世界が見える』(池上彰、文春新書)の帯に「宗教は『よく死ぬ』ための予習です。」とコピーがあり、前述の中村仁一医師も終末期の宗教のあり方に言及していました。

 

死の不安におびえるのが人間というものだとしたら、それにこたえられるのは「永遠に健康に、永遠に美しく、永遠に元気に」といったアンチエイジングの商業的文句ではなく、太古の時代から人間がすがってきたスピリチュアルケアではないでしょうか。

 

 

成長や老いとともに変化し続ける自分の体を受け入れ、自分らしく人生を全うさせる準備を重ねていくために、スピリチュアルケアを私たち人間は大事にしてきたように思っています。